ジブリの映画作品に通奏低音のように流れている最大公約数的な特徴をあげるとすれば、私は下記二つを指摘しておきたいと思います。
①二つの世界。対置される都市と農村。あるいは人間と自然。都市からユートピアとしての農村へと回帰するベクトル。
②二つの名前。一人の人間が持つ、二つの名前。
特に②は、①と関連して非常に興味深い特徴です。
■二つの世界、心身の二重性:二つの名前
まず注目したいのは、ジブリの作品は他に類を見ないほど一貫して、その登場人物達(多くの場合、主人公)が、劇的と言ってよいほどの心身の二重性を有する(あるいは体験する)主体として描かれているということです。
例えば「おもひでぽろぽろ」のキャッチコピーは「私はワタシと旅にでる」です。「ゲド戦記」のキャッチコピーは「かつて人と竜はひとつだった」。
そしてその事実と丁度照応するように、彼らは二つの名前を持って(より厳密に言えば”与えられて”)います。主人公に限って見ても、ポルコ=ロッソやもののけ姫、シータやハイタカや「平成狸合戦」の狸達、ポニョ、「コクリコ坂から」の主人公である海までもが二つの名前を有する主体です。二つの名前を持たないまでも、劇的な身体の変化・二重性を有する主体はほぼ全ての作品において見つけることができます。 もっとも、宮崎駿自身、初期の頃はそのことに無自覚だったのではないかと考えられます。例えば、「となりのトトロ」では元々一人の女の子が主人公になる予定だったらしいのですが、どうしてもうまくいかずに、結局さつきとメイという二人の姉妹に“分裂”してしまいました。二人の名前が共に「五月」を意味するのは、偶然ではありません。宮崎駿監督の最後の長編作品となった「風たちぬ」の主人公においては、見事に堀越二郎と堀辰雄という二人の実在の人物が重ね合わせられています。ジブリ作品の中で複数の名を持つ主体がどれほど多く登場するか、あらためて観ると驚くと思います。