人生は演劇である。や、人生は舞台である。という有名な言葉があります。それぞれが役者であり、やり直しがきかない。
私自身も、知り合いが劇団を運営しており、何度か観に行ったこともあります。
そこには、喜怒哀楽はもちろん、アドリブや不測の事態からのリカバリーや失敗。はたまた観客を巻き込んでの演出。人生そのものかもしれません。
決められた時間内で、与えられた役どころを演じる。また、与えられた以外のことをアドリブでしたとしても、それが舞台の上でなら、それも演劇の一部であると思います。
しかし私が最近思うのは、人生はただの演劇ではないのではないかと。人は皆、与えられた役割を演じているだけなのでしょうか?大きな舞台で、与えられた役割を演じるのではなく、一人一人が小さな舞台での主役ではないかと思います。
単純なことで考えてみると、夜に一人で、くつろいでいて眠気に襲われます。そこで眠ることにします。
そこに周りの人間の影響はありません。それ自体が、大きな演劇だと言えばそうかもしれませんが、人は必ず自分を中心に考えるのではないでしょうか?
人の為に動くときも、相手の行動に合わせて自分の脳からの信号で動く。あやつり人形だとしても、実際に紐で吊るされているわけではありません。
普通の人ならば、舞台で主役を演じる機会は少ないと思います。それが何十年も続く舞台の主人公を演じることができる。それはとても、素晴らしいと思います。
ある記事で、読んだことがあります。
演劇や舞台で、喜劇か悲劇を決めるのは最後であると。
つまり、話の途中は成功や喜びで満ち溢れていても、最後の最後に裏切られる、それは悲劇です。逆に話のとちゅが辛くて悲しみに満ち溢れていても、最後は愛や喜びで終わる。これはまさしく喜劇だと思います。
一概にそうとは言い切れませんが、主人公の人生だとすれば、そうかもしれません。
最近思うのは、人は自分に嘘をつけないという言葉の意味です。人生を喜劇で終えるには、こころからの普段の行いではないかと思います。最後の瞬間に、感動の嵐でおくられるとき、そこに自分自身の嘘や裏切りがあれば、それは悲劇だと思います。悪いことをしたと思うことは、どうしても心に残ります。普段は忘れていても、ふとした瞬間に、鎌首をもたげてきます。そして、他で取り返そうとしても、結局、それ自体はカバーできません。
私はカウンセラーや心理学者ではないので、難しいことは分かりません。
ですが、最後を喜劇で終えるためにも普段の生活での生き方を考えたいと思います。
こんなことを書いてみましたが、私自身、難しいかもしれないので、背伸びをせずに、できる限りの範囲内で頑張りたいです。
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